「グッドルーザーであれ」の価値
今年の夏はパリオリンピック・パラリンピックをはじめ、インターハイ、甲子園などスポーツのビッグイベントが多く開催されます。
その中で、私は「昨年度甲子園準優勝校、仙台育英高校が地区予選で敗退」のニュースに目がとまりました。敗戦後のミーティングで仙台育英高校の須江監督が選手たちに「グッドルーザーの精神を繋いでくれていた君たちが誇らしい。」とおっしゃっていました。グッドルーザーとは、スポーツマンシップの中の1つで、負けた選手やチームが、相手を称えたり紳士的な態度をとることだそうです。地区予選で敗退した後の仙台育英の選手を見てみると、甲子園に行けない悔しさに打ちひしがれながらも、勝者の学校に惜しみなく拍手を送っていました。
ここで大切なことは、選手全員が、甲子園出場という目標達成のために、3年間、血のにじむような努力をしてきた上での行いだということです。悔しくてたまらない時にその行いができるか。
「グッドルーザーであれ」とは決して、最初から負けた後の振る舞いを考えることではなく、その一瞬のために、勝つために、長い間必死に努力してきたからこそ、そこで身に付けてきた人間性が、にじみ出ていることだと思います。グッドルーザーになるなめには、当たり前のように、勝つための必死の努力が必要だということだと思います。
オリンピック・パラリンピックでは、メダリストになった選手は多くのインタビューを受け、テレビに出演し、脚光浴びると思います。みなさんもよく目にすると思います。ですが、メダルを取ることができず、悔しさに打ちひしがれている人が当然います。そこにはグッドルーザーがいるはずです。私は、そこからいろいろな価値を学びたいと思います。【久峰中:佐藤】