教え子シリーズ③~その2~

先日の続きになります。村上さんの話です。中2になって4月末に納戸記念(久留米)という大会に出場しました。その当時、長崎桜馬場中と合宿を行うなどの交流をしていたこともあり、県外試合に一緒に参戦するという流れで取り組んでいました。

その大会で、12秒61の大会新記録で優勝してしまいました。冬を順調に消化できましたし、動きに力強さとキレが出てきていたので楽しみにはしていました。直前の練習日誌に私はこう記しました。「条件(風)がよければ6台までいけるかもしれない」まさに、好条件だったのです。私の記憶では追い風1.9だったような。よって出ましたよね。一気に勝負できるステージに乗っかったという感じです。

ただ、、。この時、このようにも伝えました。「今シーズンはいっても4台までだと思う。だから決して調子に乗ってはいけない。」結果、中2のシーズンベストはJO(横浜)で出すことになる12秒42でした。このJOは全国4位入賞を果たしたのですが、夏の全中では…。リレーの準決勝で痛恨の早出をしてしまい(2走)、チームは決勝進出を逃します。先輩達に申し訳ないことをした…。かなり落ち込んでいたのを思い出します。

新チームになり、チームの主将へ。さらに厳しい環境に身を置き、中3でのリベンジに向けてスタートしました。あとになり、副顧問の先生から聞かされることになるのですが、彼女は練習メニューを常にスカートのポケットに折りたたんで(当時は、週単位で練習メニューを出していました)、暇を見つけては何度も何度も見て、その日の練習をどのように回そうか…。どんな指示を出そうか考えていたそうです。

どんなに厳しい指導にも耐え、決して人前では涙を見せなかった彼女です。しかし、これものちに聞かされることになるのですが、プールの死角(野球場の奥。大宮中が分かる人には分かると思います。)で泣いていたそうです。よっぽど苦しい時は。戦っていたのですね…。競技レベルも上げないといけない、チームのエースとして、いや宮崎県のエースとして。同時にチームをまとめあげないといけないという主将としての大役をどう果たすか…。

最終的に100mの自己ベストは12秒12までいきます。これは九州大会3位になった時に出した記録です(昔にしては、なかなかのハイレベルですよね。)全中は100m7位。そして、リレーは前年のリベンジを見事果たします。チームの大黒柱として3走を務め爆走、トップでバトンを渡します。結果、2位に終わりますが銀メダルに大きく貢献しました。

大会後MRTに取り上げられたのですが、最後にそのTVで彼女が語ったインタビューを紹介して終わりにします。「先生や宮崎で待っている人を喜ばせる気持ちで走った」「長距離とかリレーメンバーでない人も同じ気持ちで戦ってくれたから結果が出せたと思う」「リレーで結果を出すために個人の走力を上げていくと考えていたので、個人の県記録も嬉しいがリレーで結果を残せたのが一番嬉しい」

主将という誰よりも苦労するポジションできつい思いをしながら、人として一回りも二回りも成長を遂げた結果、個人の結果も残せた典型かなあと私は当時思ったことを思い出します。そうですね、、、学校生活では学級委員長こそしていませんでしたが、誰よりも気が利くスーパー給食委員長として活躍していましたね。中1デビュー戦15秒36が中3で12秒12までいきました。みなさんも可能性を信じて努力してみましょう。【三股中:田原】

Posted by mzc