私たちは、相手の気持ちを聞くことを忘れ、相手の話をさえぎったり、自分のことだけを言ってしまうことが多くあります。「昨日は塾が大変で・・・。3時間もあって・・・。それに・・・。」と言ったところで、「自分なんか5時間。3時間なんていい方」と言ってしまう。
相手の話したかったことは、実は、もっと他にもあったのに勝手に自分の話を始めてしまい、相手の話の腰を折ったり、気持ちをそいでしまう・・・。これはきっと、気持ちが「自己中心」になっていて相手のことが見えていないからなのかもしれません。
さて、みなさんにこんな話をして分かるかどうか?と思いながらも・・・。
家庭円満の秘訣として、『「の」の字の哲学』というのがあるそうです。
例えば、夫が会社から帰ってくる。
「あぁ、疲れた・・・。」と言ったときに、「そう、疲れたの。」と言ってあげる。
それが「の」の字の哲学だということです。
「あぁ、疲れた・・・。」と言ったときに、「疲れたのはあなただけじゃないわ。」などと言わずに、相手の気持ちを、そのまま受け止めるとき、家庭に平和が生まれる!というお話でした。
また、こんなことを聞いたこともあります。
ある方が入院していました。その方は眠れない日が数日続いていたそうです。
そこで、お医者さんにそのことを訴えたところ、「そうですか。薬の量を増やしましょうか?薬を変えてみましょうか?」と言われたそうです。
同じことを看護師さんに訴えると、「つらかったでしょうね。夜が長かったでしょうね。」と言ってくれたそうです。
「私は看護師さんのその言葉で、ずいぶん救われました・・・。」と、その方はおっしゃっていました。
お医者さんの言ったことは、いわば、処方箋的な答えだったと思います。
それは、決して、不親切ではないけれども、親切でもなかったわけです。
もう少し、「やさしさ」や「思いやり」があれば、他の言い方ができたのかもしれません。
だから、言葉って難しいし、人の心って難しい・・・。だからこそ、そこに目を向けることはとても価値があることだと思うのです。人に優しく接するためには、相手の気持ちに寄り添おうとする「心のゆとり」が必要になります。
ひょっとすると、心にゆとりがない人が自己中心の考え方になっていくのかもしれません。逆に言えば、自分の考え方を「自己中心」の考え方から、「周りの人中心」の考え方に変えていくことが、「心のゆとり」を生むことにつながっていくのかもしれません。
「優しい」という字は、「人」を表す「にんべん」に「憂」と書きます。何か苦しいことや悩んでいること、不安なことやつらいこと、そんな様々な「憂い」をもった人のそばに、そっと寄り添っている。そんな字に見えてなりません。(明日に続く)