以前、40代半ばの男性が、ご自身の小学生時代のことを新聞に投書していました。まずはその一部を紹介します。
「・・・食べ盛りの兄弟が4人もいたので、毎日の食事を確保するのがやっとでした。そんなある日、母が何を思ったのか、上等なデコレーションケーキを買ってきてくれました。甘い物が大好きな私たちは、そのケーキを見て、誰がどこを食べるかを巡り大げんかを始めてしまいました。すると、私たちのけんかにあきれた母が、いきなりケーキのデコレーション部分をグシャグシャにし、『さあ、どこでも好きなところを食べなさい!』とどなりました。」

日本では、どんな食べ物でも、すぐに手に入ります。コンビニがあふれ、いつでもどこでも、好きな食べ物を手に入れることができる時代です。しかし、そうした中でも、世界に目を向ければ、好きな食べものも、食べたいけれども我慢している人たちもたくさんいるはずです。そう考えると、私たちはとても恵まれているのかもしれません。

この男性の投書を読んで、お母さんの気持ちがわかるでしょうか?何かの記念日、というわけではなかったようですが、きっとそのお母さんは、「普段はなかなか食べさせることができないケーキを、子どもたちに食べさせよう」と、大変な苦労をして買ってきたのでしょう。臨時にお金が入ったのかもしれません。節約し続けて、ようやく使えるお金ができたのかもしれません。しかし、そうして買ってきたケーキも、結局は兄弟げんかの元になってしまったという現実・・・。とても悲しい思いだったはずです。

だから、子どもへの教育として、ケーキをグシャグシャにしたのです。本当ならば、子どもたちが、喜ぶ姿、幸せにケーキを食べる姿を予想していたはずが、全然正反対の出来事になってしまったことに、本当に怒ってしまったのかもしれません。ですが、グシャグシャにしたことは効果てきめんでした。お母さんの思いは、確かに子どもたちに伝わったはずです。男性は、そのあとの文章で、「めったに口にすることができなかったケーキが、妙に味気ない食べ物に感じられた」と結んでいます。

飽食の時代となった現在、食べ物に対しても、『感謝』を忘れがちになります。「どんな思いでその食べ物が作られているのか」、「この食べ物を作るために、どれだけ多くの人や自然が関わっているのか」、「どういう思いで食事を作っているのか」ということを、ときには考えてみるとよいかもしれません。

何気なく過ごしている中で、当たり前になっていることがたくさんあるように思えてなりません。もちろん、ケーキをグシャグシャにすることは、勧められることではありません。感心することでもありません。しかし、そこまでしてでも、お母さんは子どもたちに伝えたかったのだと思います。「自分勝手になるな。自分のことだけ考えるな!」ということを・・・。今の自分に思い当たることはありませんか?