正月明けに、色々な先生方から私に連絡があります。内容は、言葉は、それぞれですが、今日の投稿を見ていけば、その中身は想像できるのではないかと思います。そんな中で、矢野先生(串間中)からはこんな質問でした。「先生、三股中の生徒から年賀状が届いていまして…。ビックリしました。部活動の時間に年賀状を書いたりされたのですか」と、こんな質問です。私は答えます。「いやいやそんなことはしないよ。生徒それぞれの判断で書いたのだと思う。でも、少し話はしたね。」と。話…。

コロナ前はです、宮崎中学陸上界では、他校の先生方に生徒が年賀状を出す空気感が作れていました。特に、県のトップにいた生徒は、かつて行われていた九州ブロック合宿の時に話をしていましたので、そういう力が身に付いていました。事情で書くことができない時には、寒中見舞いを出す人もいました。中学生でです。立派だと思いませんか?

こんな話をすると必ず出るワード。「書こうと思ったのですが、住所が分かりませんでした。」そりゃそうですよね。住所を知っているはずがない。ではどうすればいいのか?住所が分からなかったは、言い訳に過ぎないのです。学校に出せばいいのです。そんな流れができあがっていたのですが、コロナ禍で…。合宿がない、合同練習がない…。なかなか交流する場がもてませんでしたので、おのずと無くなってしまっていました。

三股中の部員たちも返信をいただいて、とっても喜んでいました。本当に出してよかったと励みになっていました。先生方ありがとうございました。でも、実はこのやり取りは、これで終わりではないのですよね。今後の大会や練習会での、関わり方が劇的に変わっていきます。生徒からすれば、より気にかけてもらえるようになるでしょうし、声をかけてもらえるようになります。

MTでは、出しなさいとは話していませんので、ヒントを得た部員は考えて動いたということになります。やはり、人間ですからね…。ハガキや手紙ってもらえたら嬉しいですよね。我が部員達から年賀状をもらった先生方も喜んでおられました。初めて、他校の生徒から年賀状をもらったという先生もおられました。大人でも嬉しいものです。

このようなやり取りが、復活していくと、またチーム宮崎としても深まりで出ていくのではないかなと思ったりします。その当時は、今ほど合同練習会はありませんでした。それでも、そういう空気感ができていたのですから…。

私自身、小学生の頃、親から「先生に年賀状の1枚くらい書いたのか?」とよく言われていました。そんな事もあり、今の自分があります。かれこれ30年以上、中学校の時の恩師とやり取りが続いています。県外にもたくさん視察に行きましたが、そこで知り合った先生方とも繋がりが続いています。今やハガキも85円。正直高いなぁと思います(私が小学校の時は40円程度。約②倍ですものね…)。

それでも、年に一度の礼を尽くすべき人には出すべきだと思いますし、85円では買うことのできない、何かを残していけるのではと思っています。ピーク時に比べると、かなり書く枚数は減りましたが、なんかいいよなあと思って続けています。時代の流れで、新年の挨拶もメッセージで済ませたりと簡素化されている感はあります。しかし、時代をこえて継承されるべき大事な文化の1つではないかと私は考えています。

大切なことは私達大人が教えていかなければならない、そのように私は思っています。今年も歴代の主将達を中心に、教え子達からたくさんのハガキが届きました。その中には、高校生になった今も、ここ「風の色」にきて勉強をしていますとの報告も。是非続けていってもらいたいとのメッセージもありました。

本物の人間性、人間力を手に入れて、どんどん輝いている教え子達から逆に力をもらえたりしますよね。たかがハガキ1枚なのです。しかしです、されどハガキ1枚。今日の学級通信も同様のネタで語りましたので、こちらにも呟いてみたところでした。あ、広島は、、、。6区のラスト500m付近でした。見つけてくださった方々ありがとうございました(笑)。昨日あがっていたスポットは、男子3区の中継直前のしゃもじ型ロータリーの所でした~。【三股中:田原】