先日、道徳の授業で友情・信頼について考える単元の授業を行いました。最終的には「友情を深めるために大切なことは何?」と質問してみると、思っていることは言葉にして伝えること、相手の良いところも悪い所も認めてあげることなどの意見が出ました。授業をしたのは中学1年生でしたが、友達と良好な関係を築くために何が必要なのかしっかりと理解することができていて、それを意見として言葉に出すことができていることに感心したところでした。
このような道徳的感覚って何から影響を受けて育っていくのでしょうか?道徳は答えがありません。でも相応しい行動や発言はたくさんあると思います。自分に関すること、相手に関すること、様々な事情を自分の中に落とし込んで人と接することができているか。自分自身も考えさせられます。
作家の伊集院静さんの著書『大人の流儀』にこのような言葉があります。
「人はそれぞれ事情を抱え、平然と生きている」
この言葉を聞いて深く考えさせられました。どんなに辛いことがあっても、誰にも言えない苦しみがあっても、人は平然と生きている。そんな背景を想像しながら生きていくことこそ、道徳なのだろうと思います。
さて、標題の「信じる」とはどういうことなのか。皆さんご存知の女優の芦田愛菜さんがテレビで信じるとはどういうこと?と質問された時の回答が素晴らしすぎたので紹介します。(人の言葉の紹介ばかりですみません。)
人のことを信じるってどういうことなのかなと考えてみた時に、それは自分が理想とする相手の人物像に期待してしまっていること。だからこそ人は裏切られたとか期待していたのにとか言うけれど、それはその人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。その見えなかった部分が見えた時に、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるということが、「信じる」ということ。揺るがない自分を持つことは難しいからこそ、人は信じるって口に出して理想の人物像にすがりたいのではないか。
これもまた考えさせられる言葉です。道徳の授業で子どもたちの中から出た意見、「良いところも悪いところも認めてあげる」は、まさに、人の見えなかった部分を認めてあげること。信じることこそ、良好な人間関係を作っていくのかもしれません。【住吉中:川越】

